「シック」と「クッキー」において有名な、あるドラマーと、彼がロンドンでのトークショーに出演する前に話を聞くことが出来ました。

2016年11月1日 ローレン・マーフィー

 近頃ではシックのドラマーとして知られているラルフ・ロールだが、彼は信じられないほどの興味深い人生を歩んで来た。それはニューヨークの伝説的なアポロ・シアターのハウス・バンドのドラマーだったことに始まり、音楽製作会社ファット・キャット・プロダクションの経営者、さらには彼のクッキー帝国(そう、それは本当の意味で)「ソウル・スナック」の経営者であることにまで及ぶ。

メトロポリスでのトークショーの前に、私たちはこのニューヨーカーの音楽についてのすべてと、彼の驚くべき履歴書について、そして彼が未だ果たし終えていない大きな望みについて話をした。あなたは彼について覚えておくべき最も興味深い7つの事柄をそこから知ることが出来るだろう。

1. ラルフのドラム演奏のキャリアと器用さの理由は彼の兄にある。

「僕の兄のハワードがドラマーだったんだ。そして僕は彼のマネをした。兄がやることは何だってマネしていたからね。ドラムセットが僕たちの部屋にあったんだ。二つのベットの間にね。僕がベッドからそのドラムセットに飛び乗って演奏してみせたら、兄はすごいって言ってくれたよ。僕は左利きなんだけど、兄は右利きだった。それで兄は「ドラムを演奏してもいいけど、左利き用にセットを入れ替えたりしないでくれよ。それはやり過ぎってものだからな」と僕に言ったんだ。そんな訳で僕は右利き用ドラムセットを叩ける左利きドラマーになったという訳さ。だから僕は演奏するとき手をクロスさせない。僕はオープンハンドで演奏するんだ。そしてそれは僕にはとても良かった。おかげでドラムでいろんなことが出来るようになったよ」

2. アポロ劇場で初めて演奏した日々のことは、ラルフの人生で最も忘れがたいものの1つとなった。

「アポロ・シアターで演奏することは僕の夢のひとつだった。子供のころ、僕の姉が僕をよくアポロ・シアターへ連れて行ってくれていたからね。10歳の時、そこで僕は当時ではとんでもないシンガーを観た。僕は「こっれて最高だよ!」なんて思ったね。彼の名は、マイケル・ジャクソン。それはジャクソン5の最初のツアーだった。後に僕がアポロ・シアターでの舞台を踏んだ初日、デフ・ジャムのアーティストであるチャック・スタンリーと一緒に演奏したんだけど、僕は子供のころに憧れたあの劇場のステージにいるってことが信じられなくて、ほとんど泣き出さんばかりだった。その後に、バディ・ウイリアムス(アメリカの非常に有名なドラマー)がサブのドラマーを必要としていて、アポロ・シアターのハウス・バンドに参加しないかという電話を受けた。バディがその後とても忙しくなって、後結局僕は20年以上もアポロ・シアターにいたって訳さ(笑)。アポロ・シアターっていうところは、演奏するには最も素晴らしい場所のひとつなんだ。多くの人たちがキャリアをスタートさせたステージだからね」

3. シックの他にも、ラルフは長年に渡り素晴らしいアーティスト達と共演してきた。その中でも特にお気に入りのアーティストが何人かいる。

「最もズバ抜けてたこと?それは僕が一番最初にナイル(・ロジャース)と共演した時のことだね。僕はサブのドラマーとして電話で呼ばれて最初のショーをやった。僕はとにかく「どうもありがとうございました。とても楽しかったです」ということ以外は何も思わなかったんだけど、その後に彼らは僕へ演奏のオファーをして来た。だから、あの時の演奏は間違いなくアメージングなひととき、ってことになったんだ。他にも深く心に残っている思い出としては、スティービー・ワンダーとあるアワードのステージで共演したことだ。それはアル・グリーンのトリビュート・ショウだった。僕がいつか一緒にステージに立ちたいと思っていたアーティスト達がいて、アル・グリーン、スティービー・ワンダー、ナイル・ロジャース・ポール・サイモン…。僕はそれぞれのアーティストに合わせたやり方で、彼等と申し分ない共演が出来たことはとても幸運だったと思う。一度だけディオンヌ・ワーウィックのためのアワードで、ルーサー・ヴァンドロスのバックを務めたことがあったんだけど、それもほんとうに嬉しい出来事だったな。あの日のことは決して忘れられないね」

“You don't have to do no soloin', brother; just keep what you got. Don't turn it loose! 'Cause it's a mutha."  You can keep your fancy fills - this is about the groove.” .

James Brown to Clyde Stubblefield

4. ナイル・ロジャースは、誰もが言うように実に完璧な存在である。

「現時点で、僕はナイルと共に仕事をする機会に恵まれてきた。ナイルと腰を落ち着けて話をしたり、彼のご家族に会う機会もあった。そして彼がビジネスを行っているのも見た。僕はナイルの多才ぶりを見て来ているし、彼が驚くべきビジネスマンであるとも断言できる。ナイルは音楽やアイディアにおける素晴らしいクリエイターで、非常にきめ細やかな家庭人でもあるし、また彼はよき友でもあるんだ。

彼は気遣いのひとであるし、思慮深く、面白いひとでもある。それにめちゃくちゃ頭がいいんだ。僕はみんなに彼の自叙伝である「LE FREAK」を読むことをお勧めするよ。もし、あなたがナイルに会って話をする機会があったなら、彼が悲劇と成功を何度も繰り返しながら、今もなお、美しい世界観を持ち合わせていることが判るよ」

5. ラルフには10年にわたるシックの再結成がなぜそれほど成功していたかについての持論がある。

「過去10年間のシックのショーは新しいメンバー、そして世界中で最も素晴らしいリードシンガー、キンバリー・デイビスと共に進化して来たんだ。彼女は僕らのパフォーマンスにまさに全力を注いでくれているよ。現在の僕らのショーは、ほとんど演劇作品と舞台ベント、それにすごいディスコ・パーティーの要素を一つに融合しようなものなんだ。ひとたびショーがスタートしたら、僕らがやっていることをナイルはさらに深めていく。それはまさにノン・ストップだ。そして観客のみんなが「うわぁ、信じられない!ナイルがこの曲をやるなんて知らなかったよ!」となることが、ショーが終わるまでずっと続くんだ。僕らは音楽が純粋に楽しくて最高の時間を過ごしていた、あの伝説のディスコ「スタジオ54」の時代にみんなを連れて行きたいんだ。僕の仕事は人々をクレイジーにさせることなのさ」

6. ラルフのクッキーへの愛情は、祖母のおかげである。

「僕が成長するにつれ、(今は亡くなってしまった)従兄弟のヴィンセントと僕は、いつも祖母の家で過ごしていた。その頃の僕にとって最高のことといったらお菓子が盛られた器を待っていることだった、すべての子供がするようにね(笑)。僕はその時のお菓子が出来上がるプロセスや香りをすごく覚えているよ。僕にとってその全てがものすごく魅力的だった。僕の家族全員、僕の兄さん達や姉さんたちは皆、お気に入りの料理方法というのがあって、僕はベイキング(クッキーを焼くこと)を受け継いだ。ガールフレンドと僕が一緒に暮らすことになり引っ越しをして、ホリデーに向けて贈り物することにしたんだけど、36人分の贈り物をする余裕が僕らにはなかった。それで「僕たちでクッキーを作ってみないか?」って提案をしたんだ。最初にクッキーを僕のプロダクション・チーム「ファット・キャット・プロダクション」のみんなのために作った時、彼らは今までに見たこともないような奇妙な顏で僕のことを見た。だけどそのクッキーを食べるとこんな風に言ったよ。「オーケー、また次に僕らが会うときにもこのクッキーを貰えるよね?」(笑)最初は単に楽しんでいたんだけど、みんながクッキーを気に入ってくれてこう言ってくれた。「このクッキー、本当に美味しいから、もしあなたがこれを売ろうかと考えてるなら、それってすごくいいと思うよ」それで僕らはみんなで話し合ってクッキーの会社を始めたんだ。そして現在、この会社は国際的な会社に成長している」

 7. ラルフはとんでもなく多くのことをやり遂げて来た。しかし、いくつかのやるべきことが残されている。

「クッキーの会社が成長するように僕は最善を尽くしているよ。僕は自分のコミュニティに再び戻りたいという思いがあるんだ。僕にとっての究極のゴールは、ニューヨーク市で鼓笛隊を始めること。僕は鼓笛隊の出身なんだ。マーチング・バンドのようなものだね。僕がかつて、そして今もとても情熱を持っているその鼓笛隊は「ニューヨーク・ランサーズ」と呼ばれていた。ブロンクスのパーク・アヴェニューを本拠地としていたんだ。

このドラム隊を率いていたカルメロ・サイズ氏は数年前に亡くなってしまったんだけど、彼の活動は何万人もの若い命を救ったんだ。それは必要な活動だし、多くのことを教えている。鼓笛隊というのは楽しいながらも、そこでは競争も盛んだし規律の整ったアクティビティなんだ。こういた要素がニューヨーク市にとって必要だよ。現時点でこういう活動がここには全くないからね。だから僕のゴールというのは、多くの若者を救うために鼓笛隊を始めることなんだ。

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